八幡山(やわたやま)

ホーム   »   里神楽あらすじ   »   八幡山(やわたやま)

神功皇后じんぐうこうごうは、熊襲征伐くまそせいばつに向かう夫・仲哀ちゅうあい天皇に従って筑紫つくしに赴いていましたが、途中、住吉大神すみよしのおおかみの神託を受け、新羅しらぎ征伐を仲哀天皇に進言します。しかし神託を退けた仲哀天皇は急崩、神功皇后はのちの応神おうじん天皇を身籠っていましたが、神託に従い朝鮮半島への出兵を企図します。
武内宿禰たけのうちのすくねとともに出兵の準備をしていたところ、産み月に至っていた皇后は産気付きます。そこで腹に月延石つきのべいし鎮懐石ちんかいせき※1を当ててさらしを巻き、出産を遅らせて戦場へ向かいました。神功皇后と武内宿禰の連れ舞※2、出兵に際しての皇后の式弓しきゆみ曳弓ひきゆみ)の舞が見どころです。

神功皇后
仲哀ちゅうあい天皇の皇后。日本書紀には 気長足姫尊おきながたらしひめのみこと、古事記には息長帯比売命おきながたらしひめのみこと大帯比売命おおたらしひめのみことなどとある。仲哀天皇の急死後、身重のまま住吉大神の神託により朝鮮半島に出兵し、新羅征伐に向かう。新羅は戦わずして降伏し朝貢ちょうこうを誓い、高句麗こうくり百済くだらもこれに従う。これを三韓さんかん征伐という。超人的な伝説が残るため、非実在説がある。また巫女王であったという説もある。

武内宿禰
大和朝廷やまとちょうてい初期に棟梁之臣むねはりのまえつきみ、大臣として仕え国政を補佐した。四代(五代とも)の天皇に仕えた異様に長命の人物とされるが、理想的な忠臣ちゅうしんのイメージから生まれた、あるいは実在する何人かの忠臣の人格が統合されたものと思われる。

もどき
従者。

※1 月延石(鎮懐石)
神功皇后が出陣の際陣痛に見舞われたところ、懐に入れて冷やし出産を遅らせたとされる石です。
雷によって三つに分かれ、長崎県壱岐の月読神社、京都の月読神社、福岡の鎮懐石八幡宮に奉納されたとも言われます。
また石で腹を撫でたところ安産したという説もあり、安産の守り神として尊崇を集めています。

※2 連れ舞

男女が同じ型で連れ立って舞うことで、相生あいおいの舞ともいいます。
相生とはともに生育することで、「生い」に「老い」の意をかけて夫婦が仲よく連れ添って長命であることを表現することもありますが、「八幡山」では神功皇后と武内宿禰は主従の関係なので、意味合いは異なります。
ページの先頭へ